「天の故郷に向かって」  06.09.17
                  ヘブライ11:13〜16

 信仰者は、天の故郷に向かって旅を続ける旅人です。やがて帰り着く
べき故郷があることを知っている者として、毎日の生活をしているのです。
 人の生涯を旅のように見なす言い方は、私たちの周囲でも度々耳に
することです。「人生は、旅のようなもので、山を通るような時もあれば、
谷を通るような時もある…。」その場合、その旅が、一体どこに到着する
旅なのかということは、とても大事なことです。旅の行き先次第で、旅
そのものの性格は変わります。お祝い事に向かう旅と、家族の葬りに
向かう旅とでは、その足取りは別物でしょう。私たちの人生はどこに
向かっていく旅なのか。このことによって、喜ばしい旅なのか、不安多い
旅なのか。さ迷う旅なのか、目的ある旅なのか。
人生そのものが変わります。
 人の死を人生の到着点と考える場合もあります。もしも、人生が死に
向かっての旅であるならば、それは空しく、恐ろしいものとなるのでは
ないでしょうか。終着点が近づいたと感じたら、不安や恐れでいっぱいの
旅となってしまうのではないでしょうか。しかし、聖書は、「天の故郷に
向かって旅を進めたらよい」と語りかけてくるのです。
 神さまの用意してくださる天の故郷には、滅びではなく、救いがあります。
恵みと赦しに満ち、完全な救いに包み込まれる神の国です。そのような、
幸いに向かって行く旅であることを知り信じているのですから、人生は
喜ばしい旅です。
 旅の途中で、心揺れ動くこともあります。罪人ゆえに、悩み、不安になり、
自信を失い、進む力を失いそうな時があるでしょう。しかし、神さまは、
そんな弱々しい旅人の神さまであり続けてくださいます。
 また、もうすでに場所を用意しておられます。私たちを信じておられる
からです。もしリタイヤしそうになっても、神さまご自身が旅路を導き、
到着させるつもりでおられるからです。
 永眠者記念礼拝です。永眠された愛する方々の人生の
到着点は、死ではなく、天の故郷です。